a piece of cake

基本的に雑記、ですます調もバラバラ。

UGGテロに巻き込まれないためにやっておくべきこと

最近、Facebook のフィードにこんなポストが過剰に流れてくる。

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すごくウザい。テロとしか言いようがない。

ポストに大量の人をタグ付けしてウワーッって拡散させている。みなさんも被害を受ける前に、自分の身は自分で守っておきましょう。そんな難しいことしなくても大丈夫です、カンタンに回避できます。

方法

写真のタグ付け | Facebookヘルプセンター

上記のリンクにいって

写真のタグの承認と削除 -> タイムライン掲載の確認とは何ですか。タイムライン掲載の確認をオンにするにはどうすればよいですか。

を参照しながら、タイムライン掲載の確認機能をオンにしてください。これで勝手にタイムラインに掲載されることはなくなります、大丈夫です。もし被害を受けている方がいたらこっそり教えてあげてください。


誰が一番被害被ってるって UGG(アグ)自体だ。かわいそう。

さいきん聞いた良い音楽 - 1

乱暴に embed していく。


hkusd - らしくいきましょ(usyn's back to 90's edit)


Linda Scott - I've Told Every Little Star


Shirio Momo - 恋愛サーキュレーション × trick art ! (Jockie Shirio House Remix) [完成版]


bo en - i'll fall (feat. COR!S)


seiho - パスピエ (passepied) - MATATABISTEP(English ver.) Seiho Remix

留学で得られる直接的なメリットについて

留学という目的でカナダのバンクーバーに来て7ヶ月が過ぎたところです。プライベートな話をすると、たまに体調を崩しながらも怪我などはなく、無事に生活しています。外は夏が終わって秋になり、雨が永遠と降っています。脚色とかじゃなくて、マジで永遠と降っています。秋はうつ病になってしまう人が多いみたいです。ぼくもならないように気をつけよう(これって気をつけられるものなのかな)。そしてここに長く住んでいる人たちはこの時期になるとバンクーバーのことを「レインクーバー」と呼ぶみたいです。

ぼくが感じた留学する直接的(本質的?)なメリットは以下。


  • 強制的に一人になれる環境や時間が得られる
  • その国(土地)の文化を知ることができる


です。これだけです。正直、他にはない。第二言語が習得できるとか、海外在住の友達ができるとかetc。そういうのは全て副次的なメリットだ。

まず一つ目、「一人になれる時間、って海外出なくても作れるんじゃないの」と思う方もいるかもしれない。今回は留学を前提にした話をしているのでもう一回タイトルから読み直していただけると...と思うのだが、がんばって答えてみる。まだ誰からもツッコまれてないのに。厳密に言えば海外に出なくても一人になれる環境を「意図的」に作りだすことは可能なのだが、それは決して「強制的」ではない。意図的と強制的の差はびっくりするほど大きい(というかほぼ対極にあるんじゃないか)。

強制的に一人になれると、良いことがひとつあって、誰にも邪魔されず「深く」思考できる権利が与えられる。思考するしないはその人の自由だ。が、個人的には人生最低でも一回くらいは一人になってめちゃくちゃ頭擦り切れるくらい苦しんで思考する時期が必要だと思う(ぼくはたぶん一回じゃ足りない)。哲学寄りなカテゴリについて考えてみるとなお良いかもしれない。それやっとかないとマジで人生最大に困った時、対応できなくて最悪詰む、ような気がしている。詰む、の解釈はみなさんに任せます。

さて、もしあなたが深く何かを考えていたとして。ふとしたタイミングにどうしようもない不安感(これであってるのかな、もしかしたら違うかもしれない、みたいな)に駆られる瞬間がやってきたとする。ここで「強制的」のメリットが発揮される。誰にも直接相談できないのだ。わからない、もしかして人によってはデメリットになるのかもしれない。今はインターネットがあれば無料のWebサービスとかアプリを使って母国にいる友達と話せてしまうなんとも便利な世の中ですが、それが根本的な解決に至るとは考えにくい。なぜなら、あなたが手に持っている、あるいは目の前にあるのはただのディスプレイだから。そこには誰もいない。もう一回言いますが、一人で苦しんで考える必要がある。多分、それがのちの人生の糧になると思う。ぼくはまだ20年ちょいしか生きてないからどうなるかわからないが、多分、糧になると思う。多分。あと、深く思考するにあたって不意に耳に入ってしまう母国語は正直、雑音にしかならないので、海外にいるとそれがなくていい。「思考が〜」とかいう話はうさんくさい宗教っぽくてあまりしない方がいいのかなーと思ったのですが、してしまった。まあそういうことです。

つぎに、その国(土地)の文化を知れるというメリットも大きい。これに関しては短めに。文化を知っていく過程で、これまで自分の中で持っていた常識が通用しない、そんな出来事に何回も遭遇する。これがケッコー刺激的なもので。様々な感情に訴えかけてくる。困ったり、驚いたり、引いたり、関心したりetc。ぼくは毎回すごく楽しませてもらっている。

あと最後に、お金と時間に余裕がある方は留学期間中に他の都市(もしくは国)へ旅行しに行くとなお良いかもしれない。これも解釈はみなさんに任せます。決して話すのがめんどくさくなったとかそういうことではない。

来年以降、「海外に留学したいなー」と思っていらっしゃる方々がもしこの文章を読んで、よかったなと思ってくださればとても嬉しい。もしクソだなと思われた方々はごめんなさい。

あと5ヶ月弱がんばるぞー。

無知は罪なのか

罪ではないかなと思うけど、もし、無知であり続けた場合、最終的に困るのは自分なので完全に否定はできない。そして、とある場合においては本当に罪になるケースもあるからまあ。どっちつかず。

知らないことが多いとそれに比例して損することも多いぞって感覚でいればいいと思う。

スタートアップの話で言えば、いろんなことを知っていると行為に対する対価が分かっている(分かってしまう)から無駄に戸惑ってしまってエイヤと飛べない、みたいなケースもある。でも、本当に無知の状態で飛び込むとそれはそれで普通に失敗するから、そこはある程度戦略的でないといけないみたいなところもある。

一人でいる期間大事だな。

定義化について

最近、「スタートアップとは何か」というような記事をタイムラインで見かけました、みんながシェアしていました。その影響でいろんな議論がなされていた。

題材が特に「スタートアップ」というのもあったのですが「それ、わざわざ定義する必要あるのだろうか」と思ってしまった。

定義化するメリットは、共通認識を作り出すこと。言わば、みんなの正解を作り出すことだと僕は思っている。思考の効率化、とか結構しっくりくる表現かもしれない(わからん)。デメリットは、それがみんなの正解なので、それ以上深く考えなくなる。言いすぎかもしれないですが、定義化は思考停止を招く行為だと思う。

宗教とかもそうなのだが、友達に「なんで宗教信じるの?」と聞いた(僕は無宗教なので単純に気になった)ところ、「んー、それ信じてると楽だから」という返事がかえってきた。ちょっと本題とはズレるためこれ以上は書かないが、定義された何かを信じることは人にとって心地よいことというかそれが楽ちんなのだ。エネルギー使わなくていい。

煽るわけじゃないんだけど、みんなが定義化に励む理由の一つは自分がその理論の提唱者になることで得られる承認欲求だと思う。いや、わかんない、突然やってくる使命感からなのかもしれない、神からのお達し的な。

当然、自分が提唱した意見や定義がみんなから認められることはうれしい。でも、そういう何かに対する定義を見かけた時、僕らは片耳に入れておく程度にしておかないと、危ない。もちろん信じる信じない、同意不同意は自由。

信じるものを減らすことはちょっと怖いしときどき不安になるけど、物事の不確実さというか不確かさというか、そういうものと上手に付き合っていけるようになりたい、と最近考えたりしている。